コネタのストーリー


コネタのレプリカ

こんにちは、みなさん。

私が誰なのかわかりますか?私は青い目をした人形のコネタです。今、西郷小学校の校長室に飾られています。

今から、私の歩んできた70年余りの歴史をみなさんにお話ししたいと思います。

 

 
 

今から70年ほど前。

アメリカと日本が仲良くなってほしいと願っていた、ギューリック博士は、「青い目の人形を日本の子どもたちに送って、友情を深めよう」と、アメリカの子どもたちに呼びかけました。

私はその青い目の人形たちの一人です。名前は、オハイオ州ワパコネタからコネタと名付けられました。

 

 
 
1927年4月。

西郷小学校に着いた私は、子どもたちに大歓迎されました。

私が来たことをみんなが喜んでくれたので、私はすごく楽しい日々を送っていました。

ところが、1941年、昭和16年、日本とアメリカの戦争が始まりました。爆弾の音が日に日に増し、町は次々に焼かれていきました。

「アメリカの人形は、敵の人形だから燃やしてしまえ。」と、仲間の青い目の人形たちは、次々に竹槍でさされたり、燃やされたりしました。私は悲しくてたまりませんでした。

 
 

私のいる西郷小学校ではどうだったのでしょうか。

当時の校長先生が「コネタを処分してしまえ」と言ったのですが、稲垣先生は「私に預からせて下さい。」と、そっと家へ持ち帰って隠しました。

 

 
 

戦争に行くことになった稲垣先生は、もし私が見つかると家族に迷惑がかかると思い、私を新聞紙にくるみ、学校の押入の奥にそっと隠してくれました。

 
 

1987年、昭和62年。

私は学校の押入の中から見つけられ、それからずっと西郷小学校のみなさんに大切にされてきました。

 

 
 

1996年平成81月。

私は初めて生まれ故郷のワパコネタへ里帰りしました。

その時、ノースリッジ小学校と西郷小学校は姉妹校になりました。

ノースリッジ小学校の子どもたちは私たちをあたたかく迎えてくれたので、とてもうれしかったです。

 
 
去年の11月、私とそっくりの人形を市の協力で2体作っていただきました。そのうちの1体は、西郷小学校の子どもたちが私のことを勉強するときに使っています。もう1体は私のふるさとノースリッジ小学校の子どもたちの所へ行きました。私はたくさんの仲間もでき、これからも優しい西郷の子どもたちに囲まれて幸せに暮らしていきます。

 

 
 
コネタ(中)と二人のレプリカ(左、右)

英語版 - コネタのストーリー

「コネタ贈呈の会」という小冊子から(2001年2月9日)


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